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​四季折々に美しい姿を魅せるながい百秋湖

秘的な空間に包まれた日本屈指の絶景・三淵渓谷

 ​長井ダムのダム湖「ながい百秋湖」は、広大な水面の周囲に豊かな自然が彩りを見せ、その素晴らしい景観が訪れる多くの皆様に愛されるようになってほしいとの願いが込められ平成23年に誕生しました。

 ながい百秋湖の上流部には、「三淵(みふち)」と呼ばれる深い渓谷があり、ボートツーリング最大の見どころです。

 三淵渓谷は、川幅3~5mと非常に狭く、高さ50mを超える断崖絶壁が約250m続きます。狭い川幅から現在では、ボートのみでしか行くことができない場所になっています。

 渓谷の入口付近では、これまで見ていた風景が大きく姿を変え、崇高な雰囲気が漂います。渓谷の中は、迫り来る断崖が訪れる者を圧倒しながらも滴る岩肌を間近に感じることができ、神秘的な空間に包まれています。

​ かつて、水神様が生まれたとされる地でパワースポットに相応しい神聖な場所です。

 その迫力ある渓谷と神秘的な空間が調和した景観美は、何度でも訪れたくなる魔法をあなたにかけるでしょう。

​伝統芸能「長井黒獅子舞」はじまりの場所

  悲恋の物語「卯の花姫伝説」伝わる神聖の地

 三淵渓谷には、その昔「卯の花姫」が身を投げて龍神になったという伝説が残されています。今から約1000年前、安倍貞任・宗任兄弟を討つため源頼義とその長男の義家(八幡太郎義家)が東北地方に攻め入りました。貞任は、娘である「卯の花姫」と一族を送り、長井を守らせました。

 しかし、卯の花姫は敵である義家に恋をしていました。義家は、貞任・宗任を手強い相手と知り、ひそかに卯の花姫にたくさんの手紙を送りました。手紙には、貞任が降伏すれば貞任の身の安全を保障することや戦の後に結婚を約束することが書かれていました。卯の花姫は戦を早く終わらせたい思いから、義家に貞任の戦略を漏らしてしまいます。しかし、これは戦略を聞き出すための義家の作戦だったのです。戦略を聞き出すことに成功した義家は、各地での戦で勝利を収め、ついに貞任を戦死に追い込みました。して、貞任の戦死後、義家からの手紙はぷっつりと切れてしまいました。

 貞任の戦死の知らせを聞いた姫は、義家に騙されたことに気付き「父を殺したのは私だった」と涙を流し大いに嘆きました。

 悲しみも束の間、義家軍は長井郷へと攻め込んできました。安部軍は大軍にこらえかね、朝日岩上の僧侶達を頼るしかないと、姫は三淵を訪れ、神に祈りを捧げました。しかし、義家の大軍に取り囲まれたことを知ると「もはやこれまで…」と数十丈の岩の絶壁から三淵へ身を投げました。すると卯の花姫は龍神となり、三淵の水神様となりました。

 宮の総宮神社の奥の院である三淵の主は竜神で、9月の例大祭の際には奥の院の竜神が野川の水に乗って神社へ下ると伝えられており、黒獅子はその化身だといわれています。

​景観を華やかに彩る雄大な自然

 ながい百秋湖では、美しく雄大な自然がパノラマ景観でご覧になれます。

屋根のないボートだからこそ、山の高いところまで見渡すことができ、三淵渓谷の迫力ある断崖を見上げてお楽しみいただけます。耳を澄ませば鳥のさえずりが聞こえ、時にはカモシカたちが姿を見せるなどたくさんの発見に溢れています。

 春には新緑の中にヤマツツジや山椿の花々が咲き誇り、初夏には雪解け水による自然にできた滝が現れます。秋には紅葉した木々たちが水面に映え、四季折々に美しく姿を変えて見る人を楽しませてくれます。

​乗船された方の声

​神秘的で心が洗われました。(40代女性)

​こんな絶景かつ神聖な場所が県内にあることを誇りに思います。(50代男性)

​ボートだったので絶壁が迫ってくる感じがとても良かった。思った以上に神秘的でした。(30代女性)

​2回目ですが季節の違うときに​また来たい。(60代男性)

言葉を失いました。とっても神秘的。太陽でキラキラしている湖面と緑が素敵でした。(20代女性)

​このような断崖絶壁の渓谷、日本一です。(60代男性)

​期待を裏切らない景色を見られました。他の人にも是非紹介したいと思いました。(40代女性)

​まさに秘境!(70代男性)

​人工的なものがなかったのが魅力ですね。(50代女性)

​雨降りで幻想的であった。(60代男性)

​紅葉の時期ということもあって感激が倍増。穴場見つけた!感あり。(60代女性)

想像していたよりも、もっともっと素敵でした。また来ます!(20代男性)

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